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Yosakoiイッチョライ1999

Yosakoiイッチョライ1999

フェニックス祭の初日の7月30日。

フェニックス通りのニシモト玩具店前において「YOSAIイッチョライ踊り」が行われ、 私たち吉岡幸も総勢56名が参加しました。

 

 

 

 

 

 

以前に御輿大会の方に参加した経験はあったけれど、6年ぶりの参加とあってか今年は新しい企画のYOSAKOI〜に参加する事となりました。

 

YOSAKOIイッチョライ踊り

 そもそも「YOSAKOIイッチョライ踊り」とは、8年前に北海道で、現代風にアレンジした「ソーラン節」と、 高知県の鳴子を使った「YOSAKOI祭」とがミックスされて生まれた「YOSAKOIソーラン祭」に由来するもので、 全国的に広まりつつあるこの祭を、 今年よりフェニックス祭に取り入れられたものであります。
 ヒップホップ系(?)にアレンジされた「ソーラン節」と福井の「イッチョライ節」のどちらか一曲を (約四分)、 色とりどりのハッピと鳴子を使用して踊り、祭の感動と興奮を楽しめるイベントで、その記念すべき第一回大会に我らが吉岡幸と 清川メッキ工業さんとで 結成された「メッキされた鋼の集団・吉幸清メキスクランブラーズ」が出場したのでありまする。

 “ソイヤァ〜!” 「YOSAKOIイッチョライ踊り」出場決定。
吉岡常務より通知を受けてから一週間も経たないうちに、 実行委員6名の第一回目の(極秘?)練習が始まりました。
商工会議所青年部の方々をはじめ、参加グループの代表者が集合し、 約2時間にわたり「基本の踊り」とやらをとても美人な(派手な?)先生に教わりました。
普段、音楽に合わせて踊る事などしない面々の集まりなだけに、気持ちはのっていても体がついていかないという、典型的なお年寄りダンスと言いたくなるような踊りだったが、それでもなんとか修得しようと皆必死でした。
(その後も実行委員の打ち合わせ&練習の日々は続く…。)

 そして7月6・9・12日。吉岡幸メンバーが集合しての、青年部の方々との合同練習が北陸電力体育館にて行われ、 選曲は基本の踊りに忠実に「イッチョライ節」を使用するはこびとなりました。
 メンバー総勢50余名が、常務の指導により一つ一つ踊りを練習していく。
皆最初は戸惑いの表情を見せてはいたものの、 納得のいかない部分があると、事細かに実行委員に質問し必死で覚えようと練習に励んでいました。

 (いやぁ〜、実にすばらしい光景です。皆さんの表情が生き生きとしている。いざという時のこの集中力と団結力。 これぞまさしく吉岡幸魂の真髄というべきですのぅ〜。)

 しかしこの後筋肉痛に苦しめられる羽目になろうとは…。

 うぅぅ〜、助けてぇ。

 12日にはテレビ局が取材に来たが、期待もむなしく実際にニュースで私たちの姿が放送されることはなかった…。残念。
合同練習


 22日、27日、29日。 場所を管材センターの駐車場に移して清川メッキさんとの合同練習が行われました。
この時はじめてそれぞれの配置についての本格的な練習となり、また北電体育館での練習では見せなかった、 我がチーム独自のアレンジを加えた踊りを常務の指導により練習していく。
基本の踊りからかなり変化し、おまけにかけ声まで加わって皆の頭の中はパニック、 それでも何とか形になるまでにはなったよう。 いやぁでもやっぱり…?不安はつのる。
日もだんだん押し迫り、皆の中に自覚が芽生えてきたのか、中には休憩返上でかなりスパルタ(?)な特訓を受けた方もおり、 その甲斐あってか最後にはそれなりに踊れるようにはなっていた。
最終日には、かけ声・姿勢・ウェーブ・最後の決めのポーズ等、ポイントをチェックし、本番を想定して入場からの練習を何度も行いました。 またこの日は社長も激励に来て下さり(有り難うございます)、練習にもかなり気合いが入った模様。

 明日は本番、うまく踊れますように…。

 30日、いよいよ本番当日。
朝から体がウズウズし、仕事中も頭の中にはイッチョライ節が流れる。
“お〜い、集中しろぃ集中!”そう言い聞かせながらもやっぱり…。ごめんなさい。
仕事を終えた者から随時、準備にかかる。
用意された衣装に袖を通し、念入りに化粧をする。 女性陣以上に男性陣の方が気合いが入っていたようで、 用意された化粧品・スプレー等はすべて男性陣によりきれい(綺麗?)に消費されてしまいました。

 出来上がりは…。

 顔色が赤や白になってしまった人、本物の女性以上に美しくなり、道行く子供にオカマに間違われた人、 このおばさん誰?と思わせるほど巷のおばさん化してしまった人など、実にバラエティーに富んでおり、期待通りの仕上がり様でした。
ビールで景気づけの後、会場へ。
一足早く行われていた民踊大会を横目に、待機場所へ集合。
熱気むんむんの中、 ライトに照らされた色とりどりの浴衣やハッピが祭の夜を華やかに演出する。
その中でもイッチョライ踊りは今年からとあってか、ギャラリーの注目を一身に浴びており、異様な熱気に包まれていました。

7時40分より踊りがスタート。

 吉幸清メキスクランブラーズは、8組中7番目に踊るので、8時20分頃の出番となった。
それまで待機場所で待っているわけだが、最初は記念撮影を楽しんでいたものの、他チームの踊りが始まると気になって落ちついていられない。
各チームの出来は見ているこちらも鳥肌が立つほど素晴らしく、“オーッ”と歓声をあげる者もいれば、一緒になって踊る者もいたりした。
(そう、よさこいには敵も味方もないのだぁ!)

太鼓の音

 そしていよいよ我々の出番がまわってきた。 会長・社長はじめ、応援に来て下さったたくさんの方々の声援に応えるべく、 スタート地点から勢いよくダッシュして配置につく。
心拍数が一気に上がる。バクバクバク…。
「吉幸清メキスクランブラーズ見参!」の声とともに太鼓の音が響き、少し遅れて音楽スタート。

 最初のかけ声もビシッと決まり、テンポよく踊っていく。
周囲の熱い視線と熱気の中で、踊っている私たちには心地よい風が吹き、 とてもいい気分で楽しめ、自然と皆の顔から笑みがこぼれていた。
ステップはすべて体が覚えている。
緊張が快感に変わった時、正面のギャラリーと目が合った。

撮られている…。

配置につく

 さらにオーバーアクション!ボルテージが最高に上がる。 最後の決めのポーズに向けてのステップにはいる。
中心に清川メッキさんが集まり、その回りを我々が四ブロックに分かれて囲む。
清川メッキさんの黒い衣装と、我々の青い衣装とがライトに照らされ、実に艶やかです。
曲の最後には肩車をされた清川女子が紙テープを空に舞散らせ、 練習では未公開だった清川常務さんのバク宙まで披露するなど、 他のチームとはまた一味違ったパフォーマンスで踊りの幕を閉じた。

フェニックス通り
 太鼓の音でポーズを解き待機場所へ戻ったが、たくさんの観衆の前で脚光を浴びて踊った事の快感と満足感、終わった時の拍手と歓声に皆かなり酔いしれ、 歓喜に満ちた顔をしていました。

福井県裁判所前にて表彰式が行われる。

 狙いにいった大賞は逃したものの、「審査員特別賞」に輝いた。
めでたし、めでたし★★(参加した全チームに賞が当たったという噂も…)。
そしてイッチョライ参加者と沿道の方とが混じり合って踊り、表彰式は幕を閉じたのだが、本番のちょっと緊張した踊りの時とはまた違って、解放感あふれるとびっきりの笑顔が巨大スクリーンに映し出された。
「吉岡幸さんの盛り上がりぶりは実に素晴らしく、見ている方も楽しめて気持ちがいい。」と賞賛されたのは言うまでもないことである。
今回の踊りは、第一回大会の記録に名を残すことができたのはもちろんですが、参加したメンバー一人一人の心の中に素晴らしい思い出として 刻み込まれたことでしょう。

 最初は嫌だ嫌だと言いつつも、仕事が終わってから暑い中皆で一生懸命練習した事、揃いの衣装を着て祭の感動を味わえた事…etc。
この感動を一年間しっかりと胸にしまって、また来年の踊りに爆発させたいものですね。

 来年こそは大賞とるぞぉー!               by.みやゴン・そのえ