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幻の逸品シリーズ「福井国体関連グッズ」

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社主宅の整理をしていたら、お宝が出てまいりました。
写真にありますように昭和43年に開催されました福井国体の資料です。
1つは「福井国体 指定宿舎の証」、引き受け人数が4人になっています。ということは、4人までならお泊まりできますよということなんでしょうね。平成30年の福井国体のときにもこうやって一般の民家への宿舎というものが、ありうるのかな。また、裏側には「国体協力店」で買い物をする場合市価より値引きされるとあります。今で言う「ツカッチャオウ*」カードのような役割もあったカードのようです。当社の創業者である吉岡幸四郎の名前も書かれています。
  *景気浮揚策の一環で福井商工会議所が発行した商店街でのお買い物割引カード

もう1つは「サービスのしおり」で、「明治100年記念」とあります。中を開くと国体の実行委員長である当時の中川平太夫福井県知事のごあいさつがあります。私の知っている中川知事と比べてかなり若いですね。今から四十数年前の写真ですからしょうがないです。内容は、県外から来られる選手や報道陣などの関係者への接待についておもてなしのこころで対応せよといったことがぎっしりと書かれておりました。

福井は平成30年の国体を予定しています。少しずつ開催に向けて準備が始まっていくんでしょうね。

幻の逸品シリーズ「第2回福井県優良工作機械展~日本手ぬぐい」

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先日、大震災向けにと、押入れの中のタオル類を出していたら、こんなに貴重な逸品を発見することができました。

これは昭和43年に開催された工作機械展のときに記念品として配布されたものです。もはや43年も前の展示会です。高度成長期の時代です。確か6回開催されたと聞いています。

この流れのなかで、昭和57年にわが社としての「’82ゴールデンフェア」を開催するに至ったわけです。以来、こういった展示会は吉岡幸の顔として定着するようになりました。2005年に開催したゴールデンフェア以降は大きな展示会を開催してはおりませんが、私たち吉岡幸社員は景況感を見ながらいつでも開催できるよう準備をしております。

今年は、4月21日、26日のスプリングフェアを開催いたしますので、是非多数の方にご来場頂けますようお願い申し上げます。

幻の逸品シリーズ「セーレン・ネクタイ」

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当社のお客様であるセーレン様、社名が福井精練加工(株)からセーレン(株)に変わったのが1973年、同時に東証・大証1部上場を果たしています。

先日、当社社主宅の掃除をしていたところ、出てきたのがこのネクタイです。裏の細幅の刺繍にはすでにセーレンのロゴが入っています。それでもかなりの年代ものであることは、柄そして形を見ていただければわかると思います。1973年に社名が変わっていますので、その当時のものであれば30~40年ほど前の何かの記念に作られたものなのでしょうか?
さすがに、このネクタイをして出勤する勇気は私には持ち合わせていません。

幻の逸品シリーズ「プレミアムライター」

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久々の幻シリーズです!
我が社の創業者あたりがとっておいたのでしょうかね~。
企業が配るプレミアムグッズたと思いますが、なかなかしっかりとした造りのライターです。
こんなのもらうともったいなくて捨てれないですよね。
喫煙を奨励しているような、そんな時代があったのです。

幻の逸品シリーズ「T-シャツ」

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 先日、自宅の押入れを整理をしていたところ、懐かしいものが出てきました。
 このT-シャツは90年代、福井の夏祭り「フェニックスまつり」で吉岡幸が神輿大会に参加した時に着用したものです。まさにバブル絶頂期でしたか、誰もかれもが勢いがあって、神輿大会も毎年エスカレートしていた時期です。連続で6,7年参加していたと思います。その時のいずれかの年のもの。年号が書いてないのが残念ですが、そういえばサッカーボールをイメージしたものを作ったような記憶があります。現在は「よさこいイッチョライ」に「吉幸清メキ」チームで連続出場を続けています。何事も継続することが大事ですね。

 もう1枚のT-シャツは96年に私が福井JC理事長をさせて頂いた時にフェニックスプラザで開催した「越前地球村」のスタッフT-シャツです。こんなものを着てやったのかどうかも覚えていないのですが、時代に先駆けて環境をテーマに開催しました。熊本JCとの姉妹締結も行って、NTTさんの協力で福井と熊本の両市長によるテレビ対談も実現しました。鈴木健二さん、高木善之さんの記念講演など、約3000人がフェニックスプラザにて地球市民意識を体験する1日となりました。

幻の逸品シリーズ「オリシナル・ニコちゃんバック」

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時間が経つのが早くて、ちょっと油断をすると新規投稿がさぼり気味になってしまいます。

さて、今回の逸品はニコちゃんバッグです。
これは当社のお客様ならすぐおわかりですね。毎回展示会になると、我が社の社員からほぼ強制的に持たされるやつです。
このビニール製バッグの第1号は’82吉岡幸ゴールデンフェアで配布された物です(多分?)当時はまだ私は会社にはいませんでしたし、アルバイトとして会場にお手伝いしに来たことは覚えています。ただ、そのバッグを配っていたのかどうかは良く覚えていません。
このバッグに描かれているイラストは時代によって少しずつ変わっていますが、ニコちゃんの顔だけはいつも笑顔でいます。ニコちゃんのデザインは、現在の黒川取締役が描いた物なのですが、我が社の社風にピッタリ、いつまでもこの笑顔を忘れず、皆さんのお役に立つことができればと考えています。

*一番古いタイプのバッグが見あたりません。もしお持ちの方がありましたら、ご一報頂けますと助かります。

幻の逸品シリーズ「77777」

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お陰様をもちまして、私どものホームページへのアクセスが77777件に到達いたしました。
これからもよろしくお願いします。

幻の逸品シリーズ「鉄鋼センター建築模型」

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 先日、当社の石盛ベイス・鋼材センターの事務所がリニューアルオープンしたことをこの場を使ってお知らせいたしました。

 さて、その鋼材センターの前身である鉄鋼センターの2期工事までの完成予想建築模型を紹介します。
 この模型は当社の歴代取締役であった故長谷川徳治さんの作品です。この模型が作られた当時は、まだ2期工事ができる前であることが、現在の石盛ベイスを見れば明らかです。ご覧頂くとわかりますが、向かって右側の第2倉庫が2棟になっています。現在の第2倉庫は約1000坪の1棟造になっています。
 それにしても、こうやって建築模型を作り上げてしまった長谷川さんの吉岡幸への思い入れは、本当に強いものであり、心の底から愛社精神を持ち合わせて頂いたのだと感激いたします。

幻の逸品シリーズ「創業70周年記念のビジネスバッグ」

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 このバッグは、1989年当社が創業70周年のときに作ったものです。
 時代はまさにバブル絶頂期、今は昔、夢のような時代でした。株価はその年の12月大納会のときに38,915円87銭の最高値を付けましたが、年明け早々から暴落に転じ90年の10月には2万円を割り込んで、その後91年、92年と土地の路線価が下落をはじめ93年にはバブルの崩壊が実態の経済にまで波及して社会問題となったようです。当社の売り上げも92年をピークに一気に下降していきました。
 当社は前年のNEW TIP VISION(中期経営計画)スタートにより、88年社内のコンピュータシステムの稼働、89年ゴールデンフェアの開催、そして、91年新しい会社のロゴマーク・経営理念制定と企業の近代化に努めた時期でもありました。
 この90周年記念のバッグには内側の目立たないところに昔の社章である「カネ幸」のマークが入り、革の質感もよく非常に喜ばれた品物でした。さすがに20年近く経過して私の所持品もかなり傷んでいました。このバッグは我が社にとっては時代の変わり目を象徴する思い出の品であります。

幻の逸品シリーズ「創業60周年記念の腕時計」

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 当社は1919年の創業、ということはこの時計は1979年の品物です。
 今からおよそ30年前ですから、正にデジタルウォッチが世に出て間もない頃です。今ではそれこそ100円ショップにまで陳列されていますが、当時としては、正に珍品中の珍品でしょう!
 当時のお取引先や社員にお配りしたものですから、中にはまだお持ちの方もおられると思いますが、現役で動いているものをお持ちの方はおられないでしょう。
 ところで、その1979年に何があったのかとWikipediaで探ってみたところ、なんと初めて大学入試共通一次試験があった年でした。実は私もその年の共通一次を受けた1人でありまして、そのような年に当社の60周年があったことを、今初めて知りました。
 時を刻むデジタルウォッチが30年の時を超えて、会社の60周年と私を結びつけていたとは、ささやかなる驚きでした。
      

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