2025年大阪万博が半年ほどにせまりましたが、最近ではパビリオン建設が間に合う間に合わないの話題も鳴りを潜めて、もっぱら大谷翔平ホームランと盗塁の話題に集中しています。
そういった中、吉岡幸の幸志楼には1970年大阪万博のコーナーを細やかながらセットさせてもらいました。
主な展示品としてはシンボルである太陽の塔をはじめ、パビリオンのパンフレット、キーホルダー、記念コインなど。
ちなみに太陽の塔は私自身がペイントさせてもらいました。
「ほやほや」には肯定と、【なりたて】をかけた意味があります。会長として新たな気分でブログを続けていきます。
2025年大阪万博が半年ほどにせまりましたが、最近ではパビリオン建設が間に合う間に合わないの話題も鳴りを潜めて、もっぱら大谷翔平ホームランと盗塁の話題に集中しています。
そういった中、吉岡幸の幸志楼には1970年大阪万博のコーナーを細やかながらセットさせてもらいました。
主な展示品としてはシンボルである太陽の塔をはじめ、パビリオンのパンフレット、キーホルダー、記念コインなど。
ちなみに太陽の塔は私自身がペイントさせてもらいました。
気がついたら5月も終わり、早いものです。
さて、本日の逸品シリーズはとても貴重な我が社のお宝です。
それは熊谷組の偉大なる経営者で元福井市長、そして元参議院議員の偉大なる先生、今は亡き熊谷太三郎先生です。
熊谷先生は皆様もご存知のように今の福井の基礎を作られた方です。
福井大震災の時にリーダーシップを発揮されて多くの命を救われています。
もちろん熊谷組の社長を務められ、参議院議員で国政おも動かされた福井の偉大なる恩人であります。
ちなみに私の結婚式で主賓の挨拶をしていただきました。
その熊谷先生が書かれた色紙です。
「若き日の 我が夢ひとつ 実を結び
かの山に建つ 白き建物」
熊谷組の皆さんとかの山とは、白き建物とは、と、いろいろと思いを巡らせていました。
熊谷組福井本店に寄贈させていただきました。
もう一つは、太三郎先生から私の祖父にお贈りいただいた色紙です。
こちらは私どもの歴史館、幸志楼に飾られていただきました。
以前から実家にあることはわかっていたのですが、なかなか表に出すには大物でしたのでじっと我慢して、辰年の本年、満を辞して幸志楼に登場。
辰年にちなんで迫力のある龍、昇龍を描いた屏風です。
よくご覧いただくとわかりますように、吉岡幸四郎の名前が描かれています。
吉岡幸四郎が市会議員に3期目の立候補したとき(昭和42年4月)に、必勝祈願で描いていただいたもののようです。
見事当選を果たし3期務めて議員生活を終えたのでした。
6日の朝刊各紙に出ていましたが、ご覧になられたでしょうか?
国立科学博物館が毎年、未来技術遺産を発表しています。
その今年の未来技術遺産にミシンがあったと思うのですが、なんと吉岡幸本社ビル5階の通称「幸志楼」に展示してある三菱製のミシンが入りました!
「やった!」
https://sts.kahaku.go.jp/material/2023pdf/no346.pdf
過去には私が40年ほど前に愛用していたソニーのポータブルCDプレーヤーも認定されており今回で2点目です!
ソニーはこれ↓
http://www.yoshiokakoh.co.jp/cgi-bin/diarypro/diary.cgi?no=827
このミシンは戦後昭和22年にHA1型ミシン標準図面により各社で製造され、掲載されている機種は正に幸志楼に展示しているものと同機種です。
私のおばあちゃんや母親が使っていたもので、姉たちに話したところ自分たちも使っていたとのことで、本当に思い出深いミシンなのです。
先週末、未だ見ぬ実家の納屋奥深くを掘り起こしていくと古めかしいカメラが一台。
壊れてしまっていて、使用はできない富士フイルム製のカメラ。
レンズの部分が収納されていて、いざ使用するときにはジャバラにより飛び出してきます。
今で言うコンパクトデジカメが、電源を入れるとレンズが飛び出してきますね。
いわゆるその機構の前身なのでしょう。
また、革製のカバーの内側には創業者、幸四郎が細かい字で住所と電話番号、名前を何ヶ所も書いてあります。
それだけ購入して嬉しかったのでしょう。
大切にしていたのだと思います。
祖父の想いが伝わってくる幻の逸品です。
実家の棚の上に何十年も放置されていたデジタル時計。
ホコリを拭いて電源を入れると、ちゃんと動きました。
そして、右側面にあるスイッチを入れると、
あ〜ら不思議、グラスファイバーから美しい七色の光が輝くのでした✨
最近、このシリーズが続いているのは、お盆休みがあったからと、ご理解ください。
まだまだ、面白いモノが出てきますので乞うご期待!
さて、今日アップしますのは吉岡幸の名入り一升枡を発見したと言うお話です。
弊社の100周年の時には名入りの一合升を作りましたが、今回の主人公は一升枡です。
あまりお目にかかったことがないので、まあ新鮮です。
何の時に作ったのかは不明です。
この一升枡で酒を酌み交わすと言うのか、そもそもこのマスの中に一升瓶が本当に入るのか、とか、妄想が膨らみます(笑)
盆休みに発見した額縁に入った集合写真です。
軍人さんの写真ではありません。
よ〜く見てみると創業者吉岡幸四郎も写っていました。
さらに観察してみると、左後ろにある大きな提灯?に「神明社」の文字が見えました。
帽子が軍人さんみたいでしたが、どうやらハッピを着ているようです。
そして、後ろに飾ってあるのは、鳳凰が乗った立派な御神輿ではないでしょうか!
どうやら神明神社の春か秋のお祭りの記念写真だと推測しました。
こうやってみると、実に盛大なお祭りをやっていたのですね。
それにしても立派な御神輿ですね。
お盆休みに入り相変わらず実家の捜索活動をぼちぼちと進めています。
そんな中、弁当箱が色々と発見されています。
これは我が家で使っていたものと理解しつつも、ひょっとして我が社で取り扱っていたモノでもある!そんな思いがよぎりました。
かつて、我が社も金物屋からスタートして、昔の写真に鍋釜といったモノが売られていた写真も見つかっています。
と言うことでこの、高機能なランチボックスやアルミ製の昔懐かしい弁当箱も恐らく吉岡幸金物店でお店に並んでいたモノだと思うのです。
こんなのが出てきましたよ。
1970年に開催された大阪万博EXPO70マーク入りのお盆。
未使用の状態で納戸の中から。
とにかく物持ちの良い吉岡家ですからまだまだガラクタが掘り返されてきます。
懐かしいですね。小学校の時に観に行きました。
確か6000万人が会場を訪れたとか、ほんとかな?
以前このコーナーで、太陽の塔のミニチュアも紹介しました。
ところで、2025年には2度目の大阪万博が開催されます。
この2年ほどはコロナの話題ばかりでちょっと影の薄い大阪万博ですが、シンボルやキャラクターが少しずつ決まってきて、これから様々な情報が発信されるものと期待してます。
夢のあるEXPOになると良いですね!